家内のサポート

わたくしが家内に行っている付き添いや様々なことはいったい何という名称なんだろう?ふと疑問に感じたことがありました。例えば、入院している時には日用品を持っていったり、外来での治療の時の送り迎えや医師との面談。市役所や社会保険などの書類手続き。家庭では洗濯から買い物、夕飯の用意などの家事いろいろ。家内ができないことや代わりに行ってきたことって何ていうのだろう?と。

肌見放さずに持ち歩いているニトロペンダント。手作り作家さんが作った首周りに優しいデザイン。

身内なのに「病院にお見舞いに行ってきます」と言うのもおかしいし、身体が不自由なわけではないので「介護」というものでもない。なんか良い言葉ないかな?と思い、社内のスタッフに聞いてみると「それは『サポート』の一言で良いんじゃないですか?」とアドバイスをもらいました。「なるほど、『サポート』とは簡単でいいね。」「自分がしていることは家内のサポートなんだ」と、妙に納得。病院のこと、様々な手続き、家事その他いろいろまとめて「サポート」。それからは社内の連絡などの際にあまり細かな説明をせずに、「家内のサポートのため病院で仕事してます」など簡単に連絡できるようになりました。発症して数ヶ月の間はこんな簡単な言葉も見つからないほど思考が停止した状態でした。

最近自分のことを「弱い人間だな〜」と感じることがよくあります。それまでは自分は少なくとも弱い類の人間ではないと考えていました。身体は丈夫で壊れにくい。経営者として幾度も修羅場を乗り越え、荒海で大波にまかれている時にでも、慌てることなく冷静沈着に行動できる。自分のことをそう考えていました。でもそれは奢りというか単なる勘違いでしたね。

3月17日、最初に家内が救急で担ぎ込まれた時のこと。当直医に「転移の可能性がある」と伝えられた時にわたくしが最初にしたコト。「転移」という一言を耳にした瞬間、咄嗟に周りを見渡し真っ先にバケツを探しました。周りにバケツが無いことがわかると自分のカバンのジッパーを広げ全開にし、そしてそのカバンに頭を入れたままトイレに走り出しました。そう、なぜだか突然吐き気をもよおしたのです。トイレでは滝のような汗。そして涙が止まらない。ようやく落ち着いて病室に戻る時には、もう廃人のような精神状態に。まるで頭の中を整理できない。何が起こっているのか理解できない。何をどういう処理をしたらよいのか?自分の精神力は弱く大したものではありませんでした。

それから2ヶ月くらいは思考が止まった状態になり、頭の中を整理できなく筋道をたててうまく喋ることができない。視野が狭くなってしまったり、視界の周りがチラついたり、の日々が続きました。

会社ではwebシステムなど思考を巡らせるような仕事はまったく手につかず、毎日倉庫に閉じこもり通販用の棚作りばかり行っていました。ツーバイフォー建材を組み立ててはバラシ、また組み立ててはバラシ、あーでもないこーでもない、を繰り返すこと数ヶ月。廃人状態の中で時間ばかりかけて作った棚はこの通り。

次男が中学校入学後、生まれて初めて「保護者会」なるものに参加しました。役員決めで噂によく聞く「役員が決まらなかったら、問答無用のくじ引き決め」にビクビク不安をつのらせていましたが、積極的なお母様が多いことに驚く。役員は自ら挙手して立候補。5〜6名の役員決めもほんの3分くらいで終了。素晴らしい!最後に担任の先生から「皆さんひとことお願いします!」でひとりずつショートスピーチすることになりました。皆さん語る語る、そして長い長い。人前で喋るのが慣れている方が多く、笑いも交えながらのユーモアセンスには驚嘆しました。

その時にもやってしまいました。人前で喋ることには問題ないのですが、、、。「今日は生まれて初めて保護者会なるものに参加しました。多摩から三鷹に家族で引っ越してきました!(「お〜〜っ」と、軽い笑い)」と、ここまでは良かったのですが。「実は、今回はじめて参加したのは家内の体調が・・・」と、台本には無いことをついうっかり口にしてしまい、そこから一気に感情が高ぶってしまいそこからは自爆。半泣き状態で何を喋っているのかグチャグチャになり、結局お隣さんの「大丈夫ですよ心配ないですよ」の助け舟でスピーチは終了。知性的なお母様方が多い中、お恥ずかしいばかりです。

そのすぐ後に高校和太鼓部の保護者会にも参加しました。わたくしが到着した時にはすでに会は終了していた雰囲気で、保護者の方は30人位いらしてたのでしょうか?教室に入るとなぜか拍手で迎えてくれました。その雰囲気から、わたくしが入室する前に顧問の先生が、私がトラックで運搬のお手伝いをたまにしているたことや、家内のことなど事前に皆さんに伝えてくれたのだと感じました。

そこでもまたやってしまいました。「12年の長女に続き、このたび長男が無事合格でき和太鼓部に入部しましたのでよろしくおねがいします」までは良かったのですが。また台本に無いことを口走ってしまいました。「今回本来であれば家内がこの場に来ることになっていたのですが、実はわたくしがこの度参加したのは家内の体調が、、、。」まで話してまともやウルウルから号泣モードへ。またもや自爆して収拾がつかない状態に。ここでも顧問の先生からまたもや助け舟をされてなんとか終了。醜態を皆さんの前でさらけ出してホント恥ずかしい限りです。(この時のことは家内にも話していなかったのですが、このブログで初めて伝えることなりました。)

家内といっしょにいて、いちばん辛く感じることはやはり「痛がること」ですね。「いたたたた〜」と言われるとドキッとして、決まって「すぐに鎮痛剤を服用するように」と伝えます。鎮痛剤の副作用も強いので、今は寝る前にだけ飲むようにしているようです。

できるだけ痛みを和らげてあげたいし、できることなら辛いことを代わってあげたい。1日でも数時間でもほんの数分でも。しかし他のことと違い、病気は代わってあげられません。代わってあげられることはいくらでもサポートできるのですが、病気は代わりになってサポートできないのが辛いところです。

抗がん剤治療の時には必ず、治療の前に血液検査を行いその結果を担当医が確認します。そしてその後面談(っていうのでしょうか?)の際にその結果を伝えられ、治療を行う流れになります。その内容が良いときもあれば悪いときもあります。ですので心配な時にはわたくしも同席するようにしています。

主治医との面談で、できるだけ負担をかけさせたくない気持ちから自分も同席すると家内に伝えると、いつも決まって「1人で大丈夫だから会社に行って」と返答がかえってきます。

面談の内容を家内1人で判断できるかどうか?ということではなく、その話が重い話であったら独りで負わせたくない、独りだけで聞くよりも2人で受け止めた方が負担を半減できると思って、同席するようにしています。でも、2人で同席して家内の負担を減らそうと思っていても、内容がヘビーな時にはいつも決まって私の方から崩れていきます。グサっと刺さり、感情を抑えられなくなって泣き出したり、取り乱したり、逃げ出したくなったり、自分の弱さにはホント呆れてしまいます。

先日、胃の一部を切除されたご近所の長老さんに「ガンの治療はクヨクヨせずに、どっしりした気持ちで挑みなさい!」と心強いアドバイスをいただきました。

昨日の夜、実の妹さんと次男坊が遊びに来てくれました。盛り上がってそのままお泊りになることに。高2なのにもうすでに受験対策しているそうです。地方の再生などで将来は愛媛で企業したいなどなど、夢があって頼もしい限りです。

甥っ子早朝からキッチンで何やらフライパンを振って格闘中。
「食欲は落ちてきたけど、ちょうどダイエットしたかったから良かったかな?」なんて思っていましたが、期待とは裏腹に体重は日に日に増えているのはなぜ?

そんな私に、甥っ子がお昼弁当にチャーハンを作ってくれました。